小城千葉氏の庶流

小城千葉氏

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千田瀧楠
(????-????)
千葉胤清
(????-????)
尼日音
(????-????)
尼日光
(????-????)
千葉俊胤
(1419-1430)
千葉胤氏
(????-????)
千葉政胤
(????-1455)
千葉胤将
(????-????)
千葉胤誠女
(????-????)



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千葉胤誠女 (????-????)

 小城千葉氏十七代当主・千葉胤誠の一人娘。神代大炊助長良の養女。佐野右京亮茂美、のち佐野右衛門茂久の妻となるが、離別した。神代伯耆守常親は義姉にあたる姫を「千葉姉様」と呼んでいる。

 父・千葉胤誠は永禄2(1559)年、父・胤頼が討死を遂げると、家臣たちに護られて城を脱出し、川久保領主・神代大和守勝利を頼って落ち延びた。そして、文禄2(1593)年9月13日、胤誠が川久保で亡くなると、神代大炊助長良の「養子」として引き取られ、鍋島直茂の計らいによって、佐野右京亮茂美(龍造寺隆信孫)へ「合宿」することとなった。しかし、男女とも子が無いままに元和5(1619)年5月28日に茂美が死去。「彼姫右京方へ縁深之儀」を察した藩侯・鍋島勝茂の命により、十三歳で佐野家名跡を継承した「佐野右衛門(茂久。鍋島和泉守忠茂三男)方内儀」となった。しかし十五歳以上の年の差があったためか「煩差出候」につき離別。神代伯耆守常親が引き取って、常親の母(神代長良娘)と同居させ、常親は姫を「姉分」として敬っている(『神代家文書』)。常親との年の差は七~八歳程度と推測される。

 「千葉姉様」は父の胤誠から、神代家から「千葉胤頼御屋形様」へ宛てられた起請文ほか所領等にかかわる文書十四通を受け継いでおり、「千葉姉様」を保育した小柳自鑑が預かり、子孫と思われる「小柳源次兵衛」まで受け継がれていたようである。元禄4(1691)年4月25日、神代直利は小柳源次兵衛にこれらの文書を陣内神兵衛に受け取るよう命じ、中島二右衛門へ納めている。

 「千葉姉様」は寛文元(1661)年7月に亡くなり、父・胤誠と同じ屋形山に葬られた。法名は眞如院殿妙光日住大姉。「姉様」に仕えていた平田左馬助胤家ら千葉家旧臣たちはそのまま川久保神代家の家臣となっている。


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