小城千葉氏の庶流

小城千葉氏

千葉氏HP肥前千葉氏目次千田庄千葉氏肥前千葉氏の一族下総原氏下総高城氏


千田瀧楠
(????-????)
千葉胤清
(????-????)
尼日音
(????-????)
尼日光
(????-????)
千葉俊胤
(1419-1430)
千葉胤氏
(????-????)
千葉政胤
(????-1455)
千葉胤将
(????-????)
千葉胤誠女
(????-????)



トップページ肥前千葉氏肥前千葉氏の一族千葉胤将


千葉胤将 (????-????)

 八代・千葉介胤紹の四男。通称は次郎。十一代当主・千葉介胤朝の弟。

 幼少時に佐嘉郡妙法院で出家していたが、千葉介胤朝と仲違いした家老・岩部常楽に擁立されて文明2(1470)年10月19日に還俗し、「胤将」を称した。その後は少弐政資の援けを得ながら、岩部軍の旗印として胤朝と戦火を交えた。そして胤将はついに胤朝を牛頭山城に追い込んだが、九州の戦乱を心配した将軍・足利義政が少弐政資に千葉家内訌を鎮めるよう命じ、政資から胤朝胤将に停戦を命じたことから、やむなく胤将胤朝と和睦し、城攻めは中止された。

 しかし、12月には和睦を一方的に破った胤朝に攻められ、宗貞国とともに筑前国の山岳伝いに大宰府へ逃れて行った。胤将は怒って少弐政資胤朝追討を請うが、政資は幕命を盾にこれを認めなかった。

 これ以降、胤将はしばらく雌伏するが、文明18(1486)年10月3日、刺客を放って胤朝を暗殺した。この報を受けた少弐政資は激怒し、12月23日、胤将を謀反人として追討の兵を差し向けたが、いち早くこれを察知していた胤将はすでに大宰府から姿を消し、配下の諸将もこつぜんと姿を消した。以降の消息は不明。


ページの最初へ千葉氏HP肥前千葉氏目次千田庄千葉氏

肥前千葉氏の一族下総原氏下総高城氏

Copyright©1997-2009 ChibaIchizoku. All rights reserved.
当サイトの内容(文章・写真・画像等)の一部または全部を、無断で使用・転載することを固くお断りいたします。