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千葉胤将 (????-????)
八代・千葉介胤紹の四男。通称は次郎。十一代当主・千葉介胤朝の弟。
幼少時に佐嘉郡妙法院で出家していたが、千葉介胤朝と仲違いした家老・岩部常楽に擁立されて文明2(1470)年10月19日に還俗し、「胤将」を称した。その後は少弐政資の援けを得ながら、岩部軍の旗印として胤朝と戦火を交えた。そして胤将はついに胤朝を牛頭山城に追い込んだが、九州の戦乱を心配した将軍・足利義政が少弐政資に千葉家内訌を鎮めるよう命じ、政資から胤朝・胤将に停戦を命じたことから、やむなく胤将は胤朝と和睦し、城攻めは中止された。
しかし、12月には和睦を一方的に破った胤朝に攻められ、宗貞国とともに筑前国の山岳伝いに大宰府へ逃れて行った。胤将は怒って少弐政資に胤朝追討を請うが、政資は幕命を盾にこれを認めなかった。
これ以降、胤将はしばらく雌伏するが、文明18(1486)年10月3日、刺客を放って胤朝を暗殺した。この報を受けた少弐政資は激怒し、12月23日、胤将を謀反人として追討の兵を差し向けたが、いち早くこれを察知していた胤将はすでに大宰府から姿を消し、配下の諸将もこつぜんと姿を消した。以降の消息は不明。