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千葉胤氏 (????-????)
文明元(1469)年6月、兄の千葉介教胤と大村家親との戦いに従軍し、彼杵郡に向かって出陣したものの、大町江(杵島郡大町町)で嵐におそわれ、船が転覆。兄・教胤は溺死してしまった。胤氏は無事帰り着いたものの、敵対関係にあった叔父・千葉胤紹の系統から出た千葉胤朝が当主となり、胤氏の子・義胤は「徳嶋」を称して千葉氏の家臣となった。義胤の子としては「徳嶋胤秀」が見られる系図もある。
永禄6(1563)年3月、島原半島の名将・有馬晴純は龍造寺隆信・千葉介胤連との戦いで杵島郡まで攻め寄せた。千葉介胤連はただちに龍造寺隆信と連絡をとり、配下の鴨打胤忠(陸奥守)・徳島胤時(甲斐守)・持永盛秀らを率いて小城郡丹坂峠まで出陣した。
さらに天正4(1576)年、龍造寺隆信は、鍋島信房・信生兄弟をはじめ、犬塚鎮家、徳島信盛、横岳家実を率いて宿敵・有馬氏の東肥前の前線基地である藤津郡横造城を攻め落とした。攻めとった横造城は鍋島信房(鍋島直茂の兄)が守将となり、徳島信盛は藤津郡松丘城主となった。